思い入れのある人もない人も、雪山には欠かせない登山家のシンボル
はじめてピッケルを手にしたのは20年以上前。それは部室に転がっていた、おそらく卒業生が残していったと思われる全長70cmの木製モデルでした。当時木のシャフトというと機能的にはすでに時代遅れになりつつあったにもかかわらずそれに惹きつけられたのは機能云々ではなく、何よりも亜麻仁油がたっぷり染み込んだウッドシャフトが醸し出すヴィンテージな風合いがたまらなく魅力的で、身につけるだけでどこか登山への意欲をかき立ててくれたからかもしれません。そんな思い入れは今でも消えず、このピッケルだけはどれだけ新しいモデルを買い替えても未だに手放せずにいます。
そんな凜々しく気品に満ちた姿に魅了されたのはなにもぼくだけではありません。数ある登山用具のなかでもとりわけ登山という文化のシンボルとして、古くから洋の東西を問わず多くの登山家に愛されてきたのがピッケルです。
その昔は鍛冶職人の手によってひとつひとつ手作りされたことから日本刀よろしく「登山家の魂」ともいわれていました。ちなみにピッケルはドイツ語(Eispickel)で、英語ではアイスアックス(Ice Axe)、フランス語ではピオレ(Piolet)、イタリア語ではピコッツァ(Piccozza)。イタリア語、弱そう。
元々は19世紀半ば、長大な氷河が横たわるヨーロッパアルプス登山において、当時別々に携行していたバランス保持のための「ストック(杖)」と氷雪を砕くための「アックス(斧)」を一体化させるという現地山岳ガイドのアイデアから始まったといわれています(堀田弘司『山への挑戦―登山用具は語る』岩波新書)。そこから100年以上の時を経て進化し多様化した現在では、当然のことながら1本のモデルに魂を宿すような特別な装備ではなく、目的と用途に合わせて多様な種類の中から選んで使い分ける普通の山道具と変わりません。
一度購入するとなかなか買い替えるということがないピッケルですが、今シーズン新しいモデルを買い足したことを機に今一度最適なピッケル選びについて整理してみようじゃないかと思い立ち、最新事情についてまとめてみました。
選び方をまとめるにあたって
後述しますがピッケルといっても一般縦走用からテクニカルな登攀用まで、専門的なものから幅広くカバーするモデルまで、目的によってさまざまな種類がありますが、ひとまずこの記事では氷壁を登攀するようないわゆるアイスクライミングは念頭に置いていません。一般的な雪山登山から、確保の必要な急斜面の登攀が若干出てくる雪稜等のバリエーションルートまでを使用シーンとして想定しています。
また登攀技術と登山用具は互いに影響し合いながら日々進化していくものです。自らの経験があるとはいえ、それはかなり限られたものに過ぎません。それなりにシビアな状況で使用が求められるギアであるピッケルに関しても、プロでさえさまざまな異なる主張や意見をもっているのが現実です。そこで今回はより慎重に、過去のガイド記事などをできる限り深く遡って立体的に調査しまとめています。
その上、さらに最新の専門的な情報があるに越したことはありません。そこで今回は◯◯荘や◯◯スポーツが無料で開講しているギア講座にも複数回参加してみることで最新事情を含めてあらためて広く学び直してみました。余談ですがこのギア講座、無料にもかかわらず現役のガイドやアスリートが講師として話をしてくれるし、直接疑問を投げかけられるので、予想以上におすすめです。
目次
- ピッケルとは何をするもの? ~各部の名称と10の役割~
- ポイント1:形状による分類 ~背伸びは禁物~
- ポイント2:長さ ~身長とアクティビティから選ぶ~(ページ:2)
- ポイント3:重さと強度 ~目的によって選ぶ~(ページ:3)
- ポイント4:扱いやすさ ~軽く考えてはいけない~(ページ:3)
- ポイント5:その他 ~用意した方がいい付属品~(ページ:3)
- まとめ
ピッケルとは何をするもの? ~各部の名称と10の役割~
ピッケルとはそもそも何をするためのギアなのでしょうか。基礎知識としてピッケルの主な役割を書き出してみます。まず通常の歩行時の役割としてはその成り立ちからも分かるように、
- 歩行時に杖としてバランスをとる
これがピッケルの最も基本的な役割といえるでしょう。ただ現在ではストックの使用が普及したことで、どうしてもピッケルでなければならないという必要性は状況によっては薄くなってきています。一方、
- 急斜面でピックやシュピッエツェを刺して支持支点とする
- つまずいた瞬間に斜面に刺して転倒を防ぐ
- 強風・突風に煽られたときにピッケルと共に身体をかがめて耐風姿勢をとる
- 斜面で転倒した際に落下しないように滑落停止姿勢をとる
これらはメンバーとして雪山に行く限りにおいては今も昔も最重要かつクリティカルな役割ではないでしょうか。どれもピッケルにしかできないと同時に直接的に命にかかわるというのがその大きな理由です。その他、
- 雪に埋めて確保支点とする
- 硬い斜面を削って足場やバックパックを下ろす棚を作る
- テントのペグ代わりにする(注意:くれぐれも降雪で埋まって取り出せなくならないように)
- スコップでは砕けない固い氷を砕く(幕営地点の整地時など)
- グリセードやシリセード(下りでスピーディに滑り降りる技術)時のバランス保持
などがあり、臨機応変に上手く使ってあげることでいろいろと効果的な役目を果たしてくれることも追々知っておくとよいでしょう。
ポイント1:形状による分類 ~背伸びは禁物~
ピッケルを選ぼうと思ってカタログを見ると、まず悩むと思われるのがその形状でしょう。最近の縦走用ピッケルはその形状によって大まかに以下の3つのカテゴリに分けられます(下表)。
その前に前提として繰り返しになりますが、カーブといってもバナナのように全体が曲がっているモデルは氷柱などに突き立てたピックに全体重をあずけて登攀するようなテクニカル(アイス)クライミング用であり、雪山歩きをする人たちはひとまず忘れてください(写真)。それを踏まえたとしても、かつてのストレート一択からここ最近ではシャフトの根本部分(ヘッド側)が若干カーブしているマウンテニアリング向けタイプや超軽量のスキーツーリング向けタイプが多く登場しているようです。
上の表であるように、マウンテニアリング向けタイプはストレートのシャフトに比べ、主にピッケルを振り下ろしたときの雪面への打撃力(打ち込みやすさ)が高くなる、また、急な斜面でシャフト上部を握ってピックを刺した際に拳にゆとりができる、さらにピック・シャフトの2点が地面に接しやすいため支えやすくより安定感があるなど、要するに急斜面での操作性が増すという利点があります。このため、より急斜面や岩と雪のミックス帯などテクニカルなルートになればなるほどカーブしたシャフトの方が有利であることは確かです。
これから選ぼうとする身としてはどうしても新製品の多い方、そして何となくビジュアル的にイケてる方に眼を奪われがちですが、実際のところマウンテニアリング向けタイプが本当に必要な人がどれ程いるのかというと、若干疑問です。
ガイドブックや記録が多数目に入るようなルートはその昔から先人たちが伝統的なストレートシャフトで踏破してきているわけですし、一般縦走向けモデルは何よりも安価で、初心者にとって都合の良い要素が数多く見られることも事実。斜面によってストックとピッケルを併用する方が快適だという意見もあると思いますが、まだ雪山経験の少ない人にストックとピッケルを器用に使い分けろというのも実際現実的なアドバイスとはいえない気がします。
例えばもしぼくが雪山にはじめての人を連れて行くと考えた場合、歩き方に慣れてもらうためには斜度が緩やかなうちに早めにピッケルを使って感覚を掴んで欲しい。それに難しいルートに行く機会はそんなにすぐには訪れないのだから、それまでに自分に本当にしっくりくる1本が見えてくるだろう。そんなこんないろいろな視点から考えると、よほどの自信やこだわりがない限り、まず手頃なストレートシャフトをすすめると思います。
選ぶときのポイント
- まずストックと併用するかしないかを考える。併用する場合にはより多くの荷物を持つ体力があること、ストックかピッケルかという状況判断がパーティ全体として的確にできること、厳しい状況でもモタモタせずに持ち替えられるだけの経験が必要であることが前提。
- ストックと併用しないのであれば、はじめての1本は安価で軽量、緩やかな斜度から使いやすい、シンプルな使い勝手が強みであるストレートシャフトの縦走向け(長さは若干長め)がおすすめ。
- ストックと併用をするのであれば、緩斜面まではストックに任せると割り切れるため、急斜面で有利なマウンテニアリング向け(長さは短め)、さらにピックを突き刺さないと登れないような危険な場所がほぼ無いと言い切れるのであればスキーツーリング向け(軽量タイプ)がおすすめ。